江戸時代、大山は「天領」と呼ばれる土地であり酒造りのまちとして歴史を重ねてきました。
当時の大山には周辺の農村と商売する在郷町と浜街道の宿場町という二つの顔がありました。
その中でも最大の特徴は移出用の酒を作る「酒造の町」であるということです。
江戸時代から幕末・明治にかけて、大山の特徴である各種手工業業者と密接に連携し、発展してきた酒造業は全国有数の「酒どころ」と呼ばれるまでに成長しました。
当時の大山では、町全体で「大山酒」という統一的な名称で酒造していました。
これは販売戦略の一つであり、大山全体で信頼を基盤として情報と技術を高いレベルで共有していたからに他なりません。
コメ作りの地、庄内。豊富な伏流水、作り手たちのたゆまぬ努力が“大山の酒”を守ってきました。
しかし、時代の流れに呑まれ全盛期には40軒もの酒蔵がありましたが、現在では「出羽ノ雪」(渡会本店)、「栄光冨士」(冨士酒造)、「大山」(加藤嘉八郎酒造)、「羽前白梅」(羽根田酒造)の4軒だけになってしまいました。
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